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新しい動画の作り方に気づく

浦和第一女子高校の
塾説に行った際に
撮影した動画はコチラ


これらの動画は一味違う。

事前に取材アポを取らずに
企画書も機材も無い状態
つまりアドリブで収録した。
※もちろん現地で取材許可をもらった
※詳細は梅野弘之オフィシャルブログで
https://e-mediabanks.com/2025/12/05/tube-10/

そして、その後の編集過程が
かなり異なる。

動画編集は完成品まで
一気に仕上げることもあるが
通常はおおまかな
カット・効果音・エフェクト
(イメージ画像や巻物つきの字幕など)
などを入れた段階
つまり字幕を入れる直前で
一度高校側に内容をチェックしてもらう。

この工程には
高校側に動画の内容を了承してもらい
ミスマッチを防ぐという意味合いがある。

(※現状では編集ソフトと字幕ソフトを
分けているため、実は字幕まで入れてから
修正が入ると大工事になる
つまり作業が煩雑になるという
編集上の都合もあり、字幕入れの前の
タイミングになる。)

今回は図書館の英語多読本という
専門性の高い分野だったため
いくつか誤りがあり
高校側に指摘していただいた。

今までも間違いの指摘はあったが
(皆様その節は申し訳ございませんでした)
ポイントはここからだ。

このタイミングで
英語多読本の担当の先生から
補足情報が届いたのだ。

この情報をほぼ全て
そのまま動画に盛り込んでみた。

元々の動画のフレーム(ベース)
を変えずにテキストを盛り込んだため
かなり情報の密度が高い動画になった。
※ぜひ一時停止して読み込んで欲しい

この追加情報によって
浦和一女の英語多読本の世界を
深掘り出来る動画に仕上がったと思う。

「高校側と一緒に動画を創る」

この視点は今まで無かった。

そのため
エポックメイキング的な役割を
これらの動画は担っている。

動画は宣伝ツールであると同時に
「創造の場」になり得るのではないか。

きっちりと企画書を作り
プロっぽい動画に仕上げつつも
「余白」を残したい。

その余白を埋めるのは
制作側と高校側の
思考と対話から生まれた
「創造物」であり
それらの行動を支えるのは
両者の「情熱」である。

私にとっては動画制作への
高校にとっては自校への
情熱。

動画を固定された
一方的な「作品」として捉えていた
アーティスト気取りの自分は
もう、いない。

自分の情熱を
飛び越えてくる先生が
いるのならば
喜んで動画を変化させる。

「動画はコミュニケーション」

(塾講師ノグジュン/野口純)

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